言葉に力はあるだろうか?

死を宣告された人に対して、
言葉に力はあるだろうか?
長い間、問い続け、苦しんできた。

小林麻央さんのブログを読んで、
同じ境遇の多くの人が励まされ、
勇気付けられたと言っていた。

同じ言葉をかけても
受け入れられる場合と
そうでない場合があるのは何故か?

言葉に力があるとすれば、
何を言ったかではなく、
誰が言ったのか、
それが言葉の力の源泉であることに気がついた。

子供達に対しても同様
私がいくら正論をぶつけても
彼らの心に響くことは無かった。

言葉に力はあるだろうか?ではなく、
私の口から出る言葉に力が無かった。

雨の神田川

終の日の たんぽぽ

終(つい)の日は たんぽぽの絮(わた) とぶように
      
       ~中村啓子さんの詩~

終の日のタンポポ

TVで市川 海老蔵さんを見て思うこと

市川 海老蔵さんには、これ以上周りを気にしたり、自分を犠牲にしないで、いい女(ひと)を早くみつけてほしい。
「小林麻央さんを越えることが私にはできない・・・」なんて、彼女の幻と戦ったりしないで、今を生きる彼を幸せにしてやれる女(ひと)が早く現れてほしい。

雨上がりの紫陽花

銀河急行に乗って

「ごじゅうよん」と言う駅まで夢のように過ぎた。
「ごじゅうきゅう」という切符でどこへ行けばいいの?

東海道新幹線の夜

不落因果

ある夜、暗闇の中でしか見えない星があることを知り、それがきっかけで悲しみの中でしか見えない幸せもあることに気付かされた。今まで無関係と思っていた点と点が線で結ばれるような感覚だった。今感じる幸せはあの時の悲しみがなければ感じることが出来なかったと思えるようになった。因果に落ちると幸せになれない。禅の世界では不落因果(因果に落ちず)というらしい。

富士山さくらの園の俺